魔女狩りの正しさとは

 些細なこと――扉の閉め方やカップの置き方、ちょっとした会話の調子、特に必要でもない返事がなかったことなんかで「え、この人怒ってる」と思ってしまう。そうして、怒らせるようなことをした覚えがなくても、「あれがいけなかったんじゃないか」「あの時ああしなかったからじゃないか」って、自分の“そんなつもりじゃなかったこと”から原因を探してしまう。私が怒らせたんだ、と思ってしまう。そう思わなければいけないような気になる。
 ハッキリと原因がわからずに怒ってる(と私に感じさせる)人はこわい。自分が怯えているのがわかる。身体が強張って息が詰まるし、眉根も寄る。泣き出してしまいそうになる。でも泣いてはいけないと思う。出来るだけ音を立てず静かにして、自分の存在が消えてしまうのを待つ。
 もちろん頭ではわかっている。誰もかれもが私の母親であるワケじゃない。怒っているように感じられた誰かは、べつに怒ってなんかいなかったのかもしれない。よしんば何かに苛立っていたのだとしても、それが私のせいだとは限らない。思い当たることが無ければなおさら。あるいは、私のやったことが原因だったとしても、それは何かの事情によってどうしようもないことだったのかもしれない。不当な苛立ちを向けられているだけかもしれない。
 それでも、私の恐怖心は条件反射的に湧き起こるし、簡単にはおさまらない。


 どうしてそうなるのかって言うと、私がまだ母親に怯えているからだろうと思う。私の中に巣くっている、母親の影に。何が悪いのかもどうすればいいのかもわからないまま、時には良かれと思ってしたことが原因で母親を逆上させていた、あの頃の混乱と怯え。それが私の身体にはしっかりと染み付いてしまっているのだ。悪気がなくても、そんなことで腹を立てられたりしないだろうことをしても、どうしてだか相手を怒らせてしまう。不愉快にさせる。根本的に何かが間違っている。(そういえば「根本的に間違ってる」ってのも母親から言われたんだ。今思い出したけど。)自分はそういう人間なんだと思ってしまったときの、あの感じ。あるいは、この、感じ。


 そういう諸々の反応に対して「いつまでも親との関係を引きずっていてはよくない」だとか「過去に捕らわれていてはいけない」だとかって言うのは簡単だし、正しい。ただ、それがどんなに正しいことであったとしても、私をこの呪いから救い出してくれはしない。正しさは往々にして誰も救わない。それは正しいだけだ。ただそれだけのこと。


 あるいは、と私は思う。あるいは、ほんとうに、おかしいのは私ひとりなのかもしれない、と。母親は始めからずっと、私に対して不当な怒りなんて向けたことはなくて、ただ私が自分勝手に、何かそれが不当なものであったかのような錯覚をしていただけだったのだ。私には何かしら相手を腹立たせるだけの充分な過失が実際にあった。それにもかかわらず、その過失に気付けないような無自覚さ――言わば、致命的な無自覚さを、私が持ち続けているのだとしたら。つまり私は、「そう思ってしまっている」だけなのだと思うことによって、実際にそうであることに気付けずにいるだけなのだとしたら。
 母親だけでなく、彼らもまた、私のその致命的な無自覚に対して腹を立てているのだとしたら――。


 だとしたらみんな嘘つきだ。母親だけが正しかったのだ。