信号機の話

19:30にヘアカットの予約を入れた。間に合わないかも知れない。


急ぎ足で歩く僕を、信号が引き止める。赤だ。
赤信号は渡らない。
どんなに急いでいようと、車の来ない道だろうと、
其処にある信号が赤であれば、僕は渡らない。
信号機には信号機の役割がある。だから無視はできない。


この世界に存在する全てのものには、何かしら役割がある。
そうでなければ、存在し続ける事に耐えられない。
自らの価値を疑う。生きる意味を見失う。


流石に日が沈むと冷える。
僕の横を自転車が通り過ぎて行った。
信号はまだ赤。
あの人は、果たして、役割について考えた事があるだろうか。
また一人背広を着た男が僕の横を通り過ぎていく。
僕はこっそり其の背中を睨みつける。
子供だな、ともう一人の僕が思う。


信号機の役割とは何か。
車を止めて、人を動かす。或いは、人を止めて、車を動かす。
双方が安全に進めるように。


誰かの言葉が聞こえる。
「この道、車はほとんど通らないから、渡っても平気だよ」
そう、人間は平気だ。危険は無い。
だが信号機は平気だろうか?


好きで其処に立っているのではない。
立たされたから、立っている。ずっとだ。寒い日も暑い日も。
人間の決めたルールに従って合図を送る。
赤、青、点滅、赤、青、点滅。
人間はルールを破る。
作為の契機、というものがあるらしいけど、これもそうだろうか?
僕は社会学には詳しくない。
どちらかと言えば苦手。


ともかく、合図を無視することは、彼らの存在意義を奪う事になる。
何を考えているんだろう。
もっと人の多いところに立ちたかった?
それとも、ここが好き?
彼らは言葉を持たない。


信号が変わった。
急ぎ足で、また歩き出す。
伸びすぎた髪が風を受ける。邪魔だ。早く切ってしまおう。
この癖毛、これ以上伸びると僕の手には負えないから。