時間の話

音がする、と思うより早く右手が動く。
音が止む。
 
ゆっくりと眼を開けて、今のは目覚ましの音だったと確認する。
寒い。きっと、今日も晴れだ。
天気予報は当たらない。
 
トースターに食パンを放り込んで、
焼けるまでの間に服を着替える。
インスタントコーヒーが出来上がる頃には、トーストも焼けている。
美味い。
今日のやけ具合は、我ながら上出来だと思う。
 
カバンを手に、家を出る。
やっぱり、晴れだ。
通りはとても静か。
自転車のペダルを踏む。風が吹く。
学校まではずっと下り坂だからとても楽だ。
その代わり、帰りはキツイ。
でも、上ってくのは天国に近づく感じで、悪くない。
 
チャイムが鳴る前に教室に入ったけど、
担任はもう教壇に立っていた。
「おはよ」
隣の席の男に声を掛ける。確か名前は前原だ。
返事はない。でも気にしない。
ぼんやりと、窓の外を見た。
 
学校って何だっけ。
勉強するところ? 何を?
僕は何しにここへ来てる? ずっとそうしてたから?
まあいいか。
誰もそんなこと考えちゃいないんだ。
そういや、井上はいつも晩飯の事を気にしてたっけ...
 
「礼!」
声にあわせて頭を下げる。
此れは一つの...そう、儀式みたいなものだ。
そうすれば家に帰れる。
カバンに、使ってもいない教科書を詰め込んで、教室を出た。
 
立ち上がって自転車をこぐ。
結構必死。
今日は天国まで行けるだろうか。
 
やっぱり無理。もう限界。
鉛のように重い足を引きずって、自転車を押す。
家に着く頃にはへとへとだ。
いつもそうだ。
天国へは届かない。
 
「ただいま」
返事はないとわかっていながら声に出す。
そういうものだ。多分、これも儀式。
 
テレビをつける。
天気予報だ。なんて言うか当ててやるよ。
明日はくもり。
だろ?
 
でも明日も晴れだ。
いや、明日なんて来ない。ずっと。
時計も止まったまま。
僕が眠るときが夜。起きるときが朝。
何も変わらない。
父さんは食卓で新聞を読み続けているし、
母さんは台所で弁当に入れる卵焼きを焼いている。
弟なんて、玄関で靴紐を結べずにいるんだ。
 
僕だけが、僕だけの毎日を送っている。
 
僕ひとりが時間の外に放り出されて。
若しくは、僕ひとりが時間の中に取り残されて。
ずっとそのまま。