ホームヘルパー

 就職活動中、たまたま同じグループで面接を受けたその学生は、スピーチをやれという課題のトップバッターを務め、面接官をして「スピーチの型としては完璧でした」と言わしめた。「申し上げる」だとか「致しました」だとかって折り目正しい日本語を使いこなしながら、ゆっくりと、はっきりした声で進められたスピーチは、実にシュウカツライクだった。と、私は思う。私とは大違いだ。3回くらい同じことを言い換えてしまったり、斜め右上を見ながら言葉を絞りだしたりしながら、とりあえず勢いで喋った、私とは。でもそれは、ただ大違いであるだけで、どちらがいいとか悪いとかいう類のものじゃない。彼が元放送部員で、私が一児の母であるのと同じように(たぶん彼は私のことを「一児の母」として認識しただろう)。
 面接から帰る方向が同じだったから、私たちは同じ電車に乗った。彼は就職活動を通して知り合った人々のことを話した。気がつくとケータイのアドレス帳の登録件数が100件を超えていて顔を思い出せない人もいるとか、でもそういう人たちと情報交換して面接に役立てられたりするから助かるのだとか、今日もこれから説明会で知り合った人と大阪で夕飯を食べるのだとか、そういうことだ。それから、学生と社会人とを繋ぐ活動にも参加しているらしかった。私が「勉強熱心なんですね」と言うと、彼は「いやぁそれほどでも」と笑った。
 私たちが乗った3つ後の駅で私たちが乗ったのと反対側のドアが開き、中年の駅員が走って来てバタンッと乱暴に簡易スロープを敷いた。ところどころゴムの破れたスロープを通って、車椅子の男性と付き添いの女性が乗り込み、ドアが閉まった。車内の誰かが小さく「びっくりした……」と漏らした。女性の声だった。電車が走り出すと、彼は資格の話を始めた。
「資格も色々取ったけど、役に立つようなものあんまりないですしね。ホームヘルパーとか」
ホームヘルパー
「ひいおばあちゃんが認知症で、だから取ったんですけど、べつに会社では使わないし」
「ああ、会社では使わないですね」と私は言った。そういえばスピーチでもそんなこと言ってたっけ。
 大阪駅に着くと、座っていた人が一斉に立ち上がってドアの前に群れを作った。ドアの向こう側にも人の群れができていた。午後4時半。ラッシュアワーちょい手前。私たちはその群れの一番後ろにくっついて、車椅子がその横に並んだ。ドアが開くと同時に群れのほとんどが絞り出され、駅員の姿が見えた。駅員は手早く簡易スロープを敷こうとしたけれど、大きなカバンを下げた若い男がふたり、その手元を跨いで降りたから、うまく行かなかった。私たちはそれをドアの内側から眺めていた。スロープが敷かれて車椅子が半分くらい車外に出ると、ドアの両脇にひしめいていた人々が車椅子の両脇に流れ込んだ。車椅子の男性と付き添いの女性はどうにかホームに降りた。けれどその先は太い柱で、柱の両脇にはまだ人の群れが続いていた。私たちもふたりのあとに続いて降りた。私が電車から降りるとき、乗っていく誰かが私のカバンを引っ掛けて、私は危うく環状線をもう一周する羽目になるところだった。彼は車椅子の横を通り抜けてホームを進んだ。私もそれに付いて歩きながら声をあげた。
「マジありえねぇ、そんなに急いで乗らなくても、みんな乗るまで電車は出ないっつーの」
 彼は人の群れの僅かな隙間を器用にすり抜けた。私もどうにかそれに続いた。車椅子の男性と付き添いの女性はまだ柱の前で、人の群れに囲まれながら立ち往生したままだった。
 歩きながら、彼は「もしかして、愚痴とかけっこう言うほうですか? なんか、陰口とか凄そう」と笑った。私はチラリと後ろを振り返ったけれど、車椅子は人混みに紛れて見えなかった。「そうでもないと思いますけどね」と答えながら向き直る。向こうから駅員がふたり、足早に歩いてくるのが見えた。