「同じ」の話
親が見ている自分と、子が見ている自分と、友達が見ている自分と、
その他にも沢山いる、自分以外の人間が見ている自分と、
昔の自分が見ていた自分と、今の自分が見ている自分と...
とにかく色々な眼が其れを見ているのだけれど、
全く同じに見えることは在り得ない。
其れなのに何故人は、其れを「同じ」ものだと思うのだろう。
今日眠って、明日眼が覚めた時、
僕が僕である保証なんて何処にもない。
昨日眠って、今日眼が覚めて、
昨日と同じ人間である保証もない。
だけれども、僕は昨日と同じように僕である。
何処か人の眼には見えないような、深いところに、
僕という人間の「イデア」が存在しているからだろう。