時間の話

時間の経過を表すのに、「流れる」や「過ぎる」という言葉が使われる。
ある一定の方向へ向かって移り変わっていくもの、というようなイメージがあるからだろう。
過去や未来という言葉も、そういったイメージから来ているのかも知れない。
未だ来ていないけれど、来るはずの何か。確かに在ったはずなのに、過ぎ去ってしまった何か。
どちらも非常に不確かなもののように思える。
その間にある一瞬が現在だ。これは、確かなものだろうか?
そう考えた時にはもう、過ぎ去ってしまっているけれど。


「時間は流れない」と論じる人もいる。
私も、時間は流れるものではないと思っている。


例えるなら、箱のようなもの。
ある大きな箱の中に、私たちは存在している。その箱が時間と呼ばれるものだ。
その中を私たちは、知らないうちに移動している。時間が動いているわけではない。
「あっちが過去、こっちが未来」と、勝手に思っているだけ。
「あっちが北、こっちが南」と指差すのに似ている。
そうすると、箱の外から見れば、全てのことは同時に起こっているワケだ。
過去は失われていない。未来は既に存在している。私たちとは別の場所で。


これが、私の「時間」に対するイメージ。
箱の外の話もあるけれど、ややこしいからまた今度にしよう。