身のまわり

 別に、いいんじゃないか、言わせておけば。と私は思う。裏で口に出しているのなら、本人に言ったも同然だろう。本人に伝わるとまずいなら、そもそも口に出さなければいい。
 それをたまたま耳にした第三者が、別の場所でそっくりそのまま漏らしたとしても、私には関係ない。事実は事実として認識されるけれど、他人の「評価」まで、そのまま受け継ぐつもりはない。漏らす第三者もどうかと思うが。誰だって、一部分しか見られないのだから。私だって、哀しいけれど、そうなのだから。
 他人がどんな「評価」をしていようとも、私は私の「評価」をする。その上で、信じる道を決めるだけだ。どう言われていようと関係ない。裏で批判するヒトがいる。それを漏らすヒトもいる。だけど本人にはまだ届いてない。
 本人がそれを聞いたら、きっと哀しむだろうと思う。傷つくだろうと、思う。でも、実際裏でそう言われているのなら、それは既に起こっている現実。それを知らずにいることも、やっぱり哀しいことじゃないだろうか。だったら、哀しくても、傷ついても、その事実を知ったっていい。子供じゃないし、バカじゃないんだから。
 本人がそれで傷ついたとしても、やっぱり私は、自分の信じる道を進む。たぶん、一緒に着いて行く。私ひとり着いて行ったところで、何の役にも立たないだろうが、誰もいないよりはマシかも知れない。私がその「本人」であったとしても、やっぱり、誰かひとりでも着いて来てくれていたら、誰もいないより遥かにマシだ。
 大きなお世話のお節介。その為に私は、でき得る限り多くのヒトに着いていけるよう、細切れになって宙を舞う。