泣けない人たち

 違う。そんなもの要らない。欲しくない。嬉しくない。やめてくれ。僕は、違う。心臓がえぐられていく。
 そんな風に、誰かが思っていたとして。その誰かが、相手の優しさを与えられているのであったとしたら。自分にとってどんなに苦しいことであっても、それが相手の優しさによるものであると、分かっていたとしたら。きっと口には出せないだろう。泣くことも、できないのだろう。相手を責めるワケにはいかない。
 優しさにはベクトルがある。求めているベクトルと、与えられるベクトルは、必ずしも一致しない。だから僕らは、大きなお世話だとか何だとか、言ってしまったりするのである。優しさには違いないのに、結局誰かを傷つけたりすることだって、けっこう頻繁に起こってしまう。それはもう、そういうものなのだ。どんなに注意したって、どこかで起こることなのだ。けれど、それでも、傷つけていいワケじゃない。それとこれとは話が別だ。
 自分は優しさのつもりであっても、それが相手を傷つけたなら、僕らは謝るべきだと思う。相手は僕らを責められずにいるのだから。優しさの押し売りは、相手の言葉を根こそぎ奪い取ってしまう。残るのは、嘘と、笑い。