空想と決めごと

「死にたいなら死ねばいい」
 いつか誰かが私に言った。私は死ぬことを考える。
 積極的に死にたいとはあまり思わない。自分の手で今すぐに終わらせたい、とは。ただ、空から雪が降るように、死が降って来ればいいと思う。静かに、寒々しく死んでみたい。そんな空想をするのは、いけないことだろうか?
 私は誰かに殺されたくはない。直接であれ、間接であれ。しかし人は、たいてい殺されて死ぬものだ。直接であれ、間接であれ。なら私は、私に殺されたいと思う。たぶん、それが一番楽だから。誰かの手を汚すのは嫌だし、誰かのせいにして死ぬのもごめんだ。第一、私はひとりで死にたい。
 私が望む死は、白い。音がない。何もしてこない。私を脅かしたりしない。私の死は、私に対して無関心である。だから、まったくの通りがかりで、私の元に降って来るはずなのだ。もちろん、空想だけれど。でも、そんな風に降って来てくれたらいいと思う。私はそれを待っている。


 ただ、私の性質上、このままだといつでも死ねてしまう。死が降って来たことにして。だから、降って来る死を待たずに死んでもいい日を、一日だけ決めている。そういう日を勝手に決めてしまえば、365日のうち、少なくとも364日は生きていけるはずだ。と、思っているのだ。
 それが大晦日。正確には元旦になるのだけれど、まあいい。シチュエーションも決まっていて、つまり、そういう状況を作り出さないうちは死なない。あるいは、死ねないことになっている。この状況設定は、死を“待つ”ための、ストッパー的役割を果たすのだ。積極的に死を追いかけないように。
 とか何とか、書いているうちに、くだらないなと思ってしまった。


くだらない事 言ってないで 早く働けよ
無駄にいいもんばかり 食わされて 腹 出てるぜ
誰もお前を 気になどしていない
身代わりなら うなる程いる だから心配すんな


ジーザス ジーニアス キングオブフリーダム
一生懸命生きている私に どんな罪があるんですか?
いっぱいあるさ 死ぬ程あるさ っていうかお前は何でそこにいる
そんなんねえ 言われたって 手首 切る気になれないなあ
もうだって 両手は とっくに 血まみれのままさ


                     ―― 「手首」/Syrup 16g より