平和を謳う家

 どうしてこんなにイライラしているんだろう、この人は。
 ガラス越しに同じものを見ながら僕は思った。あらゆる人間の一挙手一投足。あらゆる現象の原因と結果。全てに苛立ちをぶつけたくて仕方が無いといった様子だ。ほら、今も。血を分けた兄弟が紅茶にミルクを注いだその姿を視界に入れて、危うく舌打ちをするところだった。そんな自分すらも腹立たしい。という感じ。
 とにかく、この家は空っぽだ。中身が無い。空虚なのだ。ちょっとしたキッカケさえあればすぐに崩壊するだろう。夫婦喧嘩が絶えないわけでもなく、不良息子不良娘がいるわけでもない。近所づきあいもそこそこ上手くいっているし、嫁に過剰なストレスを与える姑もいない。ごく普通の家。そこで暮らすごく普通の大学生。ガラス越しに見えるものは全て、「一般」の範囲内だろう。それなのに、この家はあまりにも嘘くさい。苛立ちの原因は、たぶんそれ。
 受験の話をする弟も、冗談を言って笑う母親も、テレビを見ている父親も。平和の時間は確かに長い。ただそれは、それぞれがそれぞれの平和を維持するために、努力し続けた結果でしかない。その努力の糸が一本でも切れれば、あっという間に……。ずっと一緒に眺めてきたのだ。平和のための、努力を。つまり、見せ掛けの平和を。そして多少なりとも、その平和に貢献してきたこの人は、もう、バカらしくなってしまったのだ。
 こんなものに意味なんかない。どうせなら、派手にぶっ壊れてしまえばいい。アノトキみたいに。
 瞬間的に沸き起こる破壊衝動。その捌け口が文字であり、絵なのだろう。吐き出すしかない。吐き出させるしかない。僕は、その為にここにいる。そうやって、この人の平和を護ってやるしかないのだ。それが僕の努力。