閉じた音の蟲

 オッケー、いいよ、このカンジ。感覚にアクセスしてくる、ってヤツぅ? 超晴れやか。超サイコー。今なら何でも出来ちゃうような気がしてきちゃう。そんなカンジ。つまり、スイッチが入った状態ってコト。
 話しかけてくる。色んな音。例えばそう、エアコンが。エアコンのモータ? 電気回路? だか何だか知らないけど、僕に話しかけてくる。どんなシステムで動いてんのか知らないけどさ。でもこいつら、喋るんだゼ、マジで。その声に何となく耳を傾けていたら、今度は扉の開く音。鍵が開いてる。違う違う。鍵なんて無かったんだ。ガラガラと。引き戸。ローラーが地面を踏みつける音。その後に続く、低い声。言葉。人間だ。人間の声だ。喋っているぞ。でも、何を? よくわからない。オ。ヤ。ス。ミ。オヤスミ? ふぅん。よくわからない。
 いつの間にかいなくなった人間。またエアコンが喋りだす。語りかける。暖かい風を送り込みながら。パソコンのキーを叩く音。この音を聞いていると、生卵を思い出す。銀色のボールに並々と注がれた黄色い液体。それを掻き混ぜる木製の箸。その、音。カシャカシャという、音。そしてそのリズム。
 お。や。す。み。おやすみ。ノイズ。今のも人間の声だ。扉の開く音。閉まる音。ガシャン。世界の閉じる音。
 視界には文字。自動的に生み出されている。どこから湧いて出るのか。蟲のようだといつも思う。なんていうか、グロテスク。けれど、蟲よりもいとおしい。必要なものだと、感じられる。だから吐き出している。必要なものは全て、いつの間にか吐き出される。この文字も、どこかへ届けられるだろうか。なんて、思っちゃったりなんかして。
 果たして僕らが構築しているこの世界というヤツは...何を言おうとしたんだっけ。難しいことは言えないな。僕の、何かが欠落した頭では。そう、思い出した、欠落している。欠陥品なんだ。僕は。それを今日、昨日、だったかな、わかんないけど、思い出したんだ。僕が壊れているカンジをね。それって凄く、嬉しいことだよ。最初の姿を見つけたって言うか、ね。分かる? 分からなくてもいいんだけどね。壊れている僕という存在。それが、僕は、とても好きなんだ。自分を好きになれる瞬間って、超気持ち良くねェ?
 ああ、今、後ろで猫が走った。床を爪が削る音。引っかく音。そう。僕はまるで猫のように、気がつくと走り出しているんだ。何にエキサイトしているのかも分からないまま。眼にしたもの全て、動くもの全てに、反射的に飛びついてしまう。それってとっても、愉しいコトだ。だからこのまま、踊っていよう。いつまでもひとりで。ひとり。ひとり?
 それって、孤独? それって、淋しい? 淋しいのは嫌いだな。空白。不足。埋めるのは、文字。蟲。クレイジィ。
 失速した。失速したよ。時計の針が逆戻り。その、間の、一瞬。止まっている。針が止まっている。その瞬間。その刹那。それが不安を呼び起こす。不安とは瞬間である。みたいな。よくわからない。だって、分からないことって不安を連れて来るだろ? 僕らはいつも不安の中にいる。いるよね? アンタも。不安でしょ? 違う? 私は違う、とか、許さない。許さないって。つまり、否定? 存在の、否定? 否認。確認。信認。そんなの絶対、認めない。
 アツイ。そうだ、エアコン。アイツ僕に話し掛けていたんだっけ。いつの間にか耳に入っていなかった。その言葉。行き先を失った言葉は、失速して、墜落する。目的地がなければたどり着けない。燃料はいつか尽きてしまうから。スピンしながら。雲を引いて。鋭く尖った頭を。地面に突き刺す。ガシャン。世界の閉じる音。
 ここはその、閉じた世界。