そんなところに意味なんてない

 欠伸をひとつして、私はベッドに倒れこんだ。倒れこんだと言っても、元々枕の上にノートパソコンを載せて座り込んでいたから、その状態から後ろへ、仰向けの状態になったいうことだ。天井が見える。また欠伸。自分が世界と繋がったのを感じて、体を起こす。そして、パソコンのモニタを睨み付けた。
 新しいテキストファイルを開いて、キーボードを叩く。いい音だ。とても。でもそのことは何度も書いたから、ここには書かない。それでいい。同じことを繰り返すだけじゃダメだから。今日は、そう、嫌いな音のことを書こう。こうしてベッドに座っていると、家にいる他の人間――つまり、家族ってヤツだ――の立てる音が聞こえてくる。


 そういう音が、私は大嫌いだった。


 足音。話し声。扉の開閉音。物を移動させる音。テレビから聞こえてくる爆発音。アクション映画でも観ているんだろう。そういう音が、全部、私は大嫌いだった。今日、そのことを思い出したのだ。たぶん、あの頃と同じような一日を過ごしたから。


 朝目が覚めると、既に遅刻が決定していた。私の場合、それはそのまま「今日は休み」となる。部屋着のまま階段を降りて、お茶漬けを食べた。愛用のノートパソコンを抱えて、自室へ戻る。枕の上でパソコンを立ち上げて、その前に座り込んだら、もうその日の過ごし方は8割決まったも同然だ。知り合いのウェブサイトを眺め、ブログを眺め、ゲームもする。私じゃない誰かの書いた文章を読むこともある。そうしているうちに何となく眠たくなって、自分がベッドにいることに気がつくと、そこでそのままぺしゃんこになって眠る。枕が占領されているので少し眠りづらいけれど、たいした問題じゃない。
 気がつくと部屋は真っ暗になっていて、もう夜か、と思う。パソコンのモニタだけが明るい。部屋の電気をつけて、またパソコンへ向かう。こんばんはも言わずに。しばらくすると、玄関の扉が開いて「ただいま」という声がした。ベッドの上から「おかえり!」と叫んでおく。社交辞令というヤツだ。数分後、階段を登る足音がして、私の部屋の扉が少し開く。隙間から顔を出していたのは、父親だった。「母さんは?」「さあ、知らない。」「お前、出かけてたのか?」「寝てた。」「そうか。」顔が引っ込んで、扉は閉まる。ウェルカムバック、私の平和。心配せずとも、母親はちゃんと帰ってくるのだ。だって、普通の家だもの。そんなことを考えながら、また私じゃない誰かの文章を読む。宇宙へ行った犬と、宇宙を見ていた犬の話。
 母親が帰ってきてから数十分後、下界から「ご飯にするから降りてきなさい!」という号令が掛かった。返事もせずに布団を抜け出し、扉を開け、階段を降りる。廊下は寒い。家で夕飯を食べるのは久しぶりだった。お肉の乗った皿が3枚と、魚肉ハンバーグの乗った皿が1枚、並んでいる。魚肉ハンバーグが私の皿だ。哺乳類の肉は食べないから。他愛もない話をしながら、食物を胃に詰め込んで、眼の前の皿を空にする。空になった皿を流しへ運んで、自室へ。犬がどうなったのか、知りたい。


 犬は、死んだ。なるほど、と私は思った。いったい何に対する「なるほど」なのかはさっぱり分からない。とにかく文章を読むのはおしまいだ。
 隣の部屋から物音が聞こえてくる。うるさい。下界からも、足音や扉の開閉音がする。勝手に私の部屋に入ってくるなんて、不法侵入じゃないの、それ。ああ、そう、私はこの音が嫌いなんだった。大音量で音楽を流すと、侵入者たちは少しおとなしくなった。ウェルカムバック、私の平和。
 欠伸をひとつして、私はベッドに倒れこんだ。学校へ行っていなかった頃も、よくこうして天井を眺めたものだった。大して広くない天井のど真ん中に、大きな白い円盤がくっついている。眼を閉じれば、そいつもいなくなる。在るのは、パソコンから流れてくる賑やかな音楽だけ。私という存在すらも危うい。世界から切り離されていく感じ。何もかもが、私とは無関係に回っていく。
 眼を開けると、大きな白い円盤が相変わらず天井にくっついていた。死んだ2匹の犬と、まだ生きている私。私はまだ、世界と繋がっている。大丈夫。繋げられる。言い聞かせながら、また欠伸。自分が世界と繋がったのを感じて、体を起こした。