僕の価値は誰かが決める

 価値があるとか無いとかって、自分で決めるものだろうか。
 僕は時々、自分の存在価値を見失う。どこかに落としてきてしまう。僕はそれを自分で見つけ出すことはできないらしい。親切な誰かが再び与えてくれるのを、死にそうになりながら待っているだけ。情けない姿だと思う。そんなに大切なものなのに、どうして失くしてしまうんだろう。自分で自分が不思議だけれど、そういうことをしでかすのは、どうやら僕だけじゃないようだ。
 死に掛けている人がいる。自分の価値を失くしたらしい。私は価値のない人間だから、もう消えてしまいたい。僕に向かってそう言うんだ。僕はその人に価値を与えようとする。というか、その人の背負ってるカバンのポケットに、価値はちゃんと入っていた。つまり、本人が気づいてないだけ。だから僕はそれを取り出して、もう一度、その人に与えようと試みた。けれど、その人は受け取らない。私は価値のない人間だから……と繰り返すんだ。
 僕はどうしてその人に価値を与えようとしたんだろう。黙って見ていることもできたかも知れない。一緒になってめそめそ泣くことだって、できたのかも知れない。ただ僕は、そうしたくなかったんだ。それは、ひょっとすると、こういうことかも知れない。
 その人に価値を与えることで、僕にも価値が生まれるんだ。価値の共有。昔誰かが僕を助けたように、僕も誰かを助けたかった。僕が誰かを助けることは、僕が僕を助けることに繋がってる。
 じゃあ、私は価値のない人間だから……と繰り返したあの人は……。
 あの人が頑なに否定し続けた価値。それは僕の価値でもあったはずだ。もちろん本人はそんなこと分かっちゃいない。或いは、僕がひとりで勝手に勘違いしているってこともあり得る。勘違いだと思ったら、どうぞ、遠慮なく笑ってくれ。
 僕は今、受け取って貰えなかったこの「価値」を、持て余してるところなんだ。貰うわけにもいかないし、否定された僕の価値が、僕に牙を剥こうとしてる。お前は結局役に立たない。善人ぶって余計なことしてるだけじゃないか。挙句の果てに、予想外の反撃に動揺して、呆然と立ち尽くすだけ。お前にはもう付き合い切れねぇゼ、って、アイツ、またどっかいっちゃった。
 こんな時僕は「哀しいなあ」と呟いて、無理矢理すべてを帰結させる。逃げ出したのは僕だろうか。