譲り合いの精神

 またひとつ、消えるだけ。何のコトはない。気にするほどのコトじゃない。だって、最初からいなかったようなものだろう? イェス、って誰か言ってくれない? 言ってくれない。そりゃそうだ。
 最近、一日のうち4時間ほどを電車の中で過ごす。涼しいし、座れるし、寝ていても不自然じゃない。本も読めるし、ゲームだってできる。ラッシュ時でなければ、それなりに快適なのだ。というワケで、今日も私は電車に乗った。停車中にヨーグルトを食べる。低カロリー、らしい。単純に安かったから選んだだけだ。蓋を開けながら思い出す。そういやこれ、あんまり美味しくないんだよな。
 素直になれとか、言いたいコトがあるなら言えとか、言われたコトがあるだろう。ない? そりゃあ、羨ましい。私は素直か? ノー。ここは素直に認めておこうと思う。なんて皮肉を言うから、素直になれとか言われるんだ。そもそも私は頑固だし、頑固だって分かってるクセにそのまま通すんだから、やっぱり頑固なのである。でも、言いたいコトって、何だ? 私が言いたいのは、結局のところ綺麗事だとか理想論だとかって誰かに笑われるようなコトばかり。それが、私の“言いたいコト”であるワケで。心からそう思えているのかどうかって、そんなコト言われちゃったら困るのだ。それは“言いたくないコト”だから。“言いたいコト”だけ言ってると素直さが失われ、素直さを見せるためには“言いたくないコト”まで言わされる。
 そんな風にしゃべらされるのは好きじゃない。しゃべらされるのだと言って、つまるところ言い訳して、愚痴ったりする自分が嫌い。本当に? ……さあ。
 気がつくと電車は知らない駅に停まっている。隣に女の人が座る。目を閉じて眠っている。私は、何処にいるのだろう。もちろん電車の中にいる。景色がまた流れ出す。思考もまた流れ出す。
 いない。私は、どこにもいない。そう思いたくなるコトがある。自分が息をしているコト。何かを殺し続けているコト。物理的に場所をとっているコト。質量体積質感面積。それから、何かと繋がってしまっているコト。私は……そんな風に……違う、そうじゃない。そんな風に思いながらでも確かに存在してしまっているらしいコトが、嫌になってしまうのだ。理由なんか、知らない。けれど、私のいるこの場所には、もっと別の、いるべき人がいたんじゃないのか。って、思ったりなんかして。
 思ったりなんかして消えた人がいたのだろう。私に場所を譲った人が、きっと、昔、いたのだろう。あと4ヶ月切ってるんだけど、まさかいくらなんでも、ね。時間の外に場所が欲しい。