空箱と、あまり1

 空を、飛べばいいのだろうか。空を飛べば、地面にくっついている人間たちは、彼を尊敬するのだろうか。けれど彼も人間で、空を飛ぶのは人間の仕事じゃない。空は人間の場所じゃないのだ。鳥や、雲や、雪や、飛行機の場所。そりゃあ、飛行機の中には人間が入っているのかも知れないけれど、それだって、ちょっとお邪魔しているだけ。人間が人間のまま空を飛んでるワケじゃない。
 尊敬。ソンケイって、何だろう? 彼女はもう、彼を尊敬していないのだと言った。いや、尊敬できないと言ったんだっけ。よく覚えてない。どちらにせよ、事実はひとつ。彼女は、彼を、尊敬していない。たったそれだけ。そう言ったのも彼女だった。たった、それだけ。この世界にいったいいくつの「それだけ」があるのだろう。「それだけ」で割り切れるものと、割り切れないもの。まるで算数の割り算だ。5÷2=2あまり1。割り切れないと、人は「あんまりだ」なんて言ったりする。あまりにひどい、ってコトだろう。余った部分がひどいのだ。
 私は彼女と2時間話した。曖昧な目的地に向かって、古くなった地図を片手に2時間歩いたようなもの。同じ道を3回通って、曲がり角を何度も間違えて、散々遠回りした。その結果、私の目的は達成された。2時間かけて、遠回りしてでも、目的地に辿り着くという目的。その目的が達成される地点が目的地であったはずなのだ。けれど、今はもう、その2時間をはっきりと思い出せない。寝て起きたらほとんど忘れた。本当に目的地に辿り着いていたのかどうかも、分からない。私はよく、色々なものが分からなくなってしまうのだ。例えば、箱の中身とか。
 箱がある。箱だけがある。ふたは開いたまま。中は空っぽ。昔は箱いっぱいに、何かが詰まっていたはずなのだ。何が入っていたんだっけ。何を入れるべきなんだっけ。私には分からない。ふたを開けなければ良かったのか。でも、開けたときには空っぽだった。開けたのは私。だって、軽くなった気がしたから。箱の中身は、空を飛んでいったのかも知れない。
 それでも、私はその箱が好きだ。何も入っていなくて、入れるべきものを失って、ただ口を開けているだけの空箱が、私は好きだ。空を飛ばない人間だって。割り切れない“あまり1”だって。霧散した2時間だって。私が大切にしたかったものなのだ。忘れたくない。失くしたくない。空箱は捨てられないし、空を見上げるたびに飛べないコトを思い出すし、割り切れない思いも抱え込むし、霧散しても2時間は2時間だから繰り返す。誰かがそこで生きていたから。それはとても、大切なものなのだ。