部屋と声の妄想と私(3000字超え)

 これは僕の妄想だろう。でなければ、くだらない思い込みか……ひょっとすると、単なるホラ話かも知れない。本当のところは、僕にもよく分からない。いや、僕には、よく分からない。何が本当で何が嘘なのか、判断できなくなってしまったから。僕は僕を「僕」と呼ぶことさえ、できなくなってしまいそうなのだ。そうなる前に、残しておかなければならない何かがあるような気がして、パソコンのキーボードを叩いている。けれど、それだって怪しいものだ。僕は本当にキーボードを叩いているのか? 何か、残しておきたいものがあるのか? それは本当に、僕が、残しておくものなのか? 僕は僕を「僕」と呼んでいるつもりで、実はもう、僕なんてどこにも……やめよう。こんなことのために、キーボードを叩いているワケじゃないんだ。たぶん。おそらく。きっと。


 丸くなって眠れたらいいのに。と、思う。寝返りすらうてないソファの上で。肘掛けに立てかけた枕へ頭を乗せて、ふわふわのタオルケットを羽織って、僕は眠る。朝、目が覚めて起き上がると、たいていは首が痛くなっている。でなければ、足か腕が痺れている。夢だってたくさんみる。それでも、僕のベッドで僕は寝ない。僕の部屋に僕はいない。ソファは居間にある。僕は毎晩居間で眠る。
 僕の部屋は、恐ろしく散らかっている。「恐ろしく」なんて副詞では到底追いつかないほど、散らかっている。正常な人間はこの部屋に立ち入ることすらできないくらい。足の踏み場はかろうじてあるのだけれど、それは僕にしか見つけられない。だから、僕以外の人間には、足の踏み場がないようにしか見えないようだ。仕方がない。ここは僕の部屋なのだから。床に散らかっているのは、ほとんど紙。小説や、マンガや、ノートや、チラシや……色々だ。CDもあるし、何だかよく分からないこまごまとした雑貨もある。ゲームソフトだってある。オモチャの類もいくつか転がっている。ぬいぐるみとか、ルービックキューブとか。服はたたんで椅子の上に積んである。ドアのすぐそば。奥まで入らなくて済む場所だ。
 僕の部屋が散らかっていることに意味はない。散らかすのが好きなワケじゃないし、片付けられないワケでもない。部屋の様子を説明した後でこんなことを言うと、信じてもらえないかも知れないけれど、僕はかなりの頻度で「A型?」と訊かれるのだ。ノートのとり方を見れば分かる。カバンの中だってきれいだし、プリントを折る時はちゃんと角を揃えて折る。脱いだ靴は揃える。開けた扉は必ず閉める。でも、僕の部屋は、ゴミ箱みたいに散らかっている。そこにはあらゆるモノがごちゃ混ぜに詰め込まれ、暴れまわり、好き勝手に転がっている。けれどそれらはきっと、僕のモノで、つまり、僕の混沌が、そこにあるのだ。だからそこは僕の部屋だ。そこだけが僕の部屋だ。僕の中の混沌が、混沌のままでいられる場所。
 でも、僕はついに、信じられなくなってしまったのだ。古くからの友人であるベッドも、布団も、枕に巻いた肌触りのいいタオルさえも。そこはもう、安らげる場所ではなく、安らいでもいい場所になってしまった。“許可された”場所になってしまった。だから、そこから逃げ出したのだ。主を失った部屋は相変わらず散らかったままで、ベッドはギターと本と紙切れの城になった。彼らは僕の代わりにベッドで眠る。
 僕が眠るソファは、もちろん僕のものじゃない。居間は僕の部屋にはならない。ここは誰のものでもない場所だ。ここには色々なものがある。だから、ここには何もない。僕だって本当はいないのかも知れない。だってここは、僕の場所じゃない。居間にいると、どんどん内側へ引っ張られていく。そうして色々な声を聞く。たくさんの“誰か”がそれぞれの声で、僕に話しかけてくる。僕はそれを黙って聴いている。「嫌いだ。」と誰かが言う。必ず言う。僕はその声にぎくりとして、できるだけ小さく丸くなって、消えてしまえ!と願う。でも僕は知っている。嫌いだと言うのはいつも僕で、僕はその後に「違う。」と付け足すのだ。僕は何も嫌わない。ただ僕は、僕だけがすごく嫌いなのだ。どうしても、嫌いでいるしかないように思う。そんな僕が嫌いなのだ。みんなは僕に、毎晩そのことを言いに来る。僕は黙ってそれを聴く。そのうち眠る。僕は僕と、ひとりで眠る。
 僕の部屋だって、本当は僕のものじゃない。僕に与えられているだけで、僕が「僕のものだ」と言ってもいい場所であるだけで、実際、誰かが僕の部屋を「ゴミ箱」と呼んでも何ら問題はないワケだ。だってどう見てもゴミ箱だし。僕のベッドなんてどこにもない。僕の机なんてどこにもない。僕の部屋なんてどこにもない。僕の家なんて……僕の家? ただいま。おかえり。おやすみなさい。おはようございます。いってきます。いってらっしゃい。僕の家? 違う。僕の家に僕はいない。なぜなら僕には家がない。この家は、僕のものじゃないだろう?
 僕は。僕の。僕が。ねえ、「僕」って誰のこと?
 やめろ。邪魔をするな。何だってくれてやる。僕の所有物、僕の名前、僕の体、僕の場所、僕の時間。何だって、くれてやるから、好きなようにすればいい。好きなように使えばいい。壊したっていい。けど、僕の、言葉と、色だけは。僕は僕を「僕」と呼びたい。僕は世界に色を塗りたい。他には何も要らない。何を奪われても構わない。それでアンタたちが幸せなら、笑ってくれるなら、それでいい。僕だって笑う。いくらでも笑う。だから、僕を「僕」と呼ばせてくれ。「僕」と呼べる僕を、僕から奪わないでくれ。触るなやめろうるさい!


 やっぱり、これは僕の妄想だ。僕の部屋が散らかっていることに意味なんかない。片付けるのが面倒なだけ。「A型?」と訊かれるのは、ただ外面がいいからで、気を抜けばカバンの中だってすぐ散らかるに違いない。混沌だとか何だとかって、言い訳してるだけだろう。そもそも、言い訳にすらなっていない。ベッドが散らかってて寝られないから、居間のソファで寝てるだけだ。声なんて聞こえやしない。聞こえたとすればそれは夢か、やっぱり自分の声か、どちらかだ。別に分裂なんかしてやしない。「○○の家」という言い方は、家の所有権が誰にあるかを言ってるんじゃない。誰が住んでいるかってことで、僕はここに住んでいて、だからここは僕の家だ。そして確かに僕はここにいる。僕の家に僕がいる。
 誰かが僕を僕の名前で呼ぶのは、それが僕の名前だからだ。それ以上でも以下でもない。特別な意味なんて発生しない。別の誰かは僕を別の名前で呼ぶかも知れないし、「あの人」とか「彼女」とか、言ったりするのかも知れない。でもだから何だって言うんだ? それでも僕はきっと「僕」で、「僕」以外ではありえない。自己同一性。代替不可能な固有の実存。確固たる我。我思うゆえに我あり! こうして僕が叫んでいることだって、くだらない独り言とか、中二病とか、モラトリアムとか、長すぎる反抗期とか、終わらない思春期とか……どうとだって呼べるさ。どうとだって呼べばいいだろう。間違っちゃいない。その通りだ。あなたたちが正しい。間違っているのは僕のほうさ。なんて言うと、拗ねてるみたいに見えるんだろう。だからさっきから言ってるじゃないか。僕の言葉を奪わないでくれって、僕の色を奪わないでくれって、ねえ。まてお前はどっちだ。
 僕は、言葉を言葉のまま聴いて、色を色のまま見られるだろうか。僕だって、誰かの言葉を奪ってしまって、誰かの色を塗り替えてしまって、誰かの、さいごの、大切なものを(……!!!) いいかお前ら、「最低」ってのは、こういう時に使う言葉なんだ。やばいお腹いたい。アホか私は。


 結局のところ、これは私の妄想だ。くだらない思い込みというか、単なるホラ話だ。当たり前じゃないか。まったく、いつまでこんなこと続けているんだろうね。いいかげん、変人のフリやめたら? いつまで子供でいるつもり? やっべマジウケる超笑える。ってだからそれが変人のフリですよね。