またか

 人がいなかったワケじゃない。今だって誰かが隣に腰掛けている。けれど、きっと彼らはまたいなくなるのだ。僕はただここにいて、来る人を待ち、去る人を送る。そんな風に生きることに、慣れてしまえば楽かもしれない。こんにちは。さようなら。くり返しくり返し。「またね」だったり「久しぶり」だったりしても、必ず彼らは消えていく。いっそ、僕を罵り侮蔑して行ってくれたらいいのに。二度と会いたくない、とか言って水でもぶっかけてくれれば、もう帰って来ないことが分かるのに。お前のせいだと言ってくれれば。僕をギタギタに引き裂いてくれれば。なんて、相手に望んでいては同じだ。自分で選んだ場所なのだから、そんな甘えは許されない。
 あの人はいなくなった。僕を褒めて、「偉い」と言って、「俺なんかいなくても大丈夫」とか何とか言って、ほんとうにいなくなった。もちろん僕は大丈夫だ。まだここにいるのだから。引き裂かれたりしなかったのだから。あの人もいなくなった。僕にずいぶん感謝して、「すごく励まされた」と手を握って、「これからもがんばってね」と笑って見せたりもして、それは全部別れの言葉だったらしい。僕はがんばっているだろうか。がんばらなくちゃ、と呟いて、思い出すのはあの人の強がって笑う姿。
 それでいい。仕方がない。当たり前のことだから。あの人もあの人もあの人たちも、消えていってしまったけど。僕だって誰かを置いて来たのだ。そんな僕に、会いに来てくれた人もいた。今僕はここにいて、会いに行ったりもしないのに。彼らはとても優しいのだ。そんな優しさが僕のそばにあるのはおかしなことだ。彼らはここを去るべきで、僕は彼らを送るべき。言い聞かせ。思い込み。自己矛盾。自己? 懐疑。
 結局のところ、僕はどこへも行けない子供なのかも知れない。あるいは、だだをこねて動こうとしない、やっぱり子供なのかも知れない。子供のままで死ぬことと、大人になってから死ぬことの、どちらがいいかは分からない。だろ?