八方塞がり

 かつて生きていたあの物語には、もう戻れないだろうと思う。今なおあの物語の中で生き続けている彼らにとって、僕が物語から外れることは、ある種の裏切りですらあるかも知れない。恩を仇で返すような行為なのかも知れない。あの頃の僕はあの物語がなければ生きられなかった。物語の一部として生きている彼らにも随分助けられた。僕は彼らが好きだし、感謝もしているし、裏切ったり傷つけたりしたくないとも思っている。でも、僕は、もうあの物語の中で生きることはできないだろう。
 裏切り者と呼ばれるのは嫌だ。嘘つきだと言われるのも嫌だ。自己中心的だとか、傲慢だとか、人として間違っているとか、そんな風に言われるのは嫌だ。できることなら何ひとつ裏切ることなく、誰ひとり失望させることなく、これ以上ないくらい誠実に生きていたい。それができないのなら、何もかも放り出しておしまいにしてしまいたいとすら思う。けれど、結局のところ僕は色々なものを裏切り、たくさんの人を失望させたり傷つけたりしてしまう。今までそうだったように、これからもきっとそうだろう。誰だってそうなのかも知れない。生きるってのはそういうものだ。と、言い聞かせながら生きるべきなのかも知れない。そんな風に言い聞かせながらでも生きなきゃならないほど、生きることは重要なんだろうか。と、僕は思う。思ってしまう。僕はきっとあの物語を、部分的に、極端に、内面化し過ぎてしまったのだ。その結果、僕の中に生まれた新しい物語があの物語を食い潰してしまった。まったくひどいバケモノだ。
 助けて欲しい、とたまに思う。もう許して欲しい。もう終わりにさせて欲しい。なあもういいだろう? 僕は訊く。誰も答えてくれない。終わらせてくれない。まだ足りないのか。まだ足りないのだろう。だって僕はまだ泣けるし、時々口も開く。許されていないことをしでかす……。