裏切り者の子供が生まれます。

 「裏切られた気持ちだ」と父親は言ったらしい。後期の単位が12単位しか取れておらず、しかも内2科目は完全に先生のお情けでギリギリ単位を貰っていることと、私のお腹に子供がいることについて。母親は「そう思うのも当然だ」と父親に同意した。これが私の両親なんだ、と私は改めて思った。

 結局のところ、私は彼らにとって「要らない子供」か「失敗作」か「裏切りものの親不孝者」でしかないのだろう。たとえば、学区内トップの高校に入学できなかったことや、高校へ行けなくなってひきこもったことや、大学を受験することすらできずに一年浪人したことなんかも、全部「裏切られた」と思われていたのだ。あるいはもっと些細なことでもそうだったかも知れない。小学校のテストで75点を取ったことだって、彼らにとっては「残念な結果」だった。彼らは私に期待し、私はその期待を裏切り、そして彼らは失望する。そのくり返し。実に報われない気持ちがしていただろう。

 彼らは「おめでとう」と言わない。母親が最初に言った言葉は「別にいいけど…」だった。その後「二十歳を過ぎたらもう自分の人生だから」とか何とか言って、最終的に「果たすべき責任」の話を始める。お祝いもかねてありがたいお説教を、というワケだ。今の時点でお腹の子が自害してやしないだろうかと、私はすこし心配になる。

 それでも母親は身内を呼んで「お披露目パーティ」をしようと企画している。いったい何を「お披露目」するつもりなのだろう。私たちに「期待」と「責任」と「義務」の他に、何をプレゼントしてくれるというのだろう。自分たちですら孫の誕生を素直に喜べていないくせに、その素直に喜べない「誕生」を、「喜ぶべきもの」として義務的に取り扱うための「お披露目パーティ」。そんなものを開いたら、もうお腹の子は絶対に出て来やしない。と、私は確信する。形式ばかりの「家族ごっこ」にはもううんざりだ。