裏切り者の子供が生まれます。

 「裏切られた気持ちだ」と父親は言ったらしい。後期の単位が12単位しか取れておらず、しかも内2科目は完全に先生のお情けでギリギリ単位を貰っていることと、私のお腹に子供がいることについて。母親は「そう思うのも当然だ」と父親に同意した。これが私の両親なんだ、と私は改めて思った。

 結局のところ、私は彼らにとって「要らない子供」か「失敗作」か「裏切りものの親不孝者」でしかないのだろう。たとえば、学区内トップの高校に入学できなかったことや、高校へ行けなくなってひきこもったことや、大学を受験することすらできずに一年浪人したことなんかも、全部「裏切られた」と思われていたのだ。あるいはもっと些細なことでもそうだったかも知れない。小学校のテストで75点を取ったことだって、彼らにとっては「残念な結果」だった。彼らは私に期待し、私はその期待を裏切り、そして彼らは失望する。そのくり返し。実に報われない気持ちがしていただろう。

 彼らは「おめでとう」と言わない。母親が最初に言った言葉は「別にいいけど…」だった。その後「二十歳を過ぎたらもう自分の人生だから」とか何とか言って、最終的に「果たすべき責任」の話を始める。お祝いもかねてありがたいお説教を、というワケだ。今の時点でお腹の子が自害してやしないだろうかと、私はすこし心配になる。

 それでも母親は身内を呼んで「お披露目パーティ」をしようと企画している。いったい何を「お披露目」するつもりなのだろう。私たちに「期待」と「責任」と「義務」の他に、何をプレゼントしてくれるというのだろう。自分たちですら孫の誕生を素直に喜べていないくせに、その素直に喜べない「誕生」を、「喜ぶべきもの」として義務的に取り扱うための「お披露目パーティ」。そんなものを開いたら、もうお腹の子は絶対に出て来やしない。と、私は確信する。形式ばかりの「家族ごっこ」にはもううんざりだ。

死んだ

 妊娠した妹がやってきて、「私の赤ちゃんをみんなで可愛がって欲しいの」と言いながら私のへそにチューブを差し込み、ごぼごぼと腹の中へ水を流し込んできた。あまりの気持ち悪さに「ちょっと何してんのやめてよ!」と叫ぶけれど、妹は「これでお姉ちゃんも一緒ね」と嬉しそうに微笑んでいる。その後ろでは弟が口から細い管を垂れ下げて突っ立っている。へそのチューブが引き抜かれて身動きが取れるようになっても、パンパンに膨れ上がった腹が重すぎてろくに歩けもしない。助けて助けてと喚きながらよたよたと2、3歩進んだところでへそから水が漏れ始め、それと同時に口からもがばがばと水があふれ出してくる。大量の水を数回に分けて吐き出しながら、その合間に「何とかして! 何とかしてよ!」と妹に向って叫んでいるつもりで妹の姿なんか見えていない。視界に入った妹の医者らしき女性(だって白衣を着ていた)に「助けて! 元に戻して!」とすがりつくと、今度は医者のほうがうろたえて「そんなこと言われても、こんなことになるなんて」とか何とか言いながら医療器具をあさり始めた。この医者は危ない、と私は思うのだけれど、他にすがれる人間がいない。医者の狼狽が甚だしいので「ねえ、何でもいいからとりあえず落ち着いてやって! 痛いことするんだったら麻酔打ってからにして!」と声を掛けると、医者は注射器を私の首筋に突き刺したようだった。自分の首筋は見えないからよく分からなかったけれど、私はひどく嫌な予感がした。たぶんコイツは失敗する。そう思った瞬間、頸動脈が圧迫されるような感じと、血液が首から上に集結するような感じと、顔が膨張するような感じがいっぺんにやってきて、息ができなくなった。頸動脈だ。死ぬ。もう仕方がない。と私は思って、それから、でもこれはきっと夢だ、夢に違いない、と考えた。水の代わりに赤い液体の噴き出しているのがちらりと見えて、そのまま視界は暗転した。


 というような悪夢を毎日のように見ています。昨日はのどに蜘蛛が詰まって眼を覚ましました。夢の中であんまり必死に生き延びようとするものだから、実際に死にかけてもあんなふうに慌てふためいて生きようとするんだろうか、と不愉快な気持ちになったりもします。

お人形ごっこしよう。

 またか、またなのか、また私は破綻するのか。何の理由も原因もなく。あるいは、もうとっくの昔から始まって(終わり始めて?)いたのかもしれないけれど、けれど。糸が切れて、くたん、と倒れたその冷えきった床の痛みすら切り離してしまうような、あの、空っぽの人形あそび。口の端をつり上げたまま、身体の内に空洞を広げていく。

お手本のような

 新しい次長は見るからにデキる青年、という感じで、自信とプライドを隠そうともせず、見事なまでに仕事にアイデンティファイしていらっしゃる。休みなんてなくて平気だと言う。始発で来て仕込みをしたっていいと言う。仕事の話をしているなら終電なんてなくなっても構わないと言う。あの人はきっと“誇り”とやらで生きているのだろう。と、私は思う。

スパイラル―プ

 デジャヴ。いつか見たような夢から覚めて、ああなんだっけあの夢、と考える。ついさっきまで見ていた夢もおぼろげにしか思い出せず、結局それが何だったのかよくわからないまま伸びをして起き上がる。今何時だろう? ケータイを開いてみるけれど電源は切ってある。デンワキョーフショー。電源を入れて、時計を確認して、新着メールの問い合わせをして、すぐまた電源を切る。これでもうどことも繋がらない。そんなふうに窓を閉めて鍵をかけてカーテンを引いていたことが、前にもあったような気がする。あの時と同じかも知れない。と、思ってはみるものの、あの時がいったいどういう時だったのか、今に私にはよくわからない。生暖かくもったりとしたこの部屋の空気。なんだっけ、ほら、あの、あれに似てると思うんだけど。と、私はひとりで考える。考えるふりをする。お腹が空いているようないないような、でも何か食べたいような、この感じも知っている。とにかくパスタを茹でよう。
 パスタの茹であがったナベを覗く。メガネが曇って何も見えない。「メガネがあっても何も見えやしない」と言いながらメガネを外してみるけれど、やっぱり何も見えやしない。ナベの中にあるのはほんとうにパスタなのか? ざるにあげて、皿にあけて、サラダを乗せて、ごまドレッシングをかける。パスタの熱でサラダが生ぬるくなっていく。ドレッシングの味に飽きる。めんつゆを足してみたら、今度はこの前作ったたまご丼と同じような味になった。ああ、知ってる。この味もよく知ってる。空になった食器を流しに運ぶ。さて、何をしよう? 頭に浮かぶメロディを歌いながら考える。「いいんだ、きょうはもういいんだ」歌を聴こう。
 パソコンを立ち上げて、目当てのCDを探そうとした。探そうとしたのだけれどめんどうになった。いいんだ、きょうはもういいんだ。何をしよう? ゲームをしよう。どのゲームを? さあ? なんでもいいさ。ああまたくり返してるのか。この前の休みもこんなふうに――そうだっけ? よくわからない。窓から入ってくる暖かな光がとても心地悪い。

手袋が要りそう。

 12月だ。色々な人が一年を振り返って反省したり、来年に向けて身の回りを整理したり、今年中に諸々の清算を行おうとしたり、最後に集まって馬鹿騒ぎしようとしたりする。そういう人間たちの活動とは全然関係なく、12月の夜はとても冷たい。どんなに身体を丸めてもその表面を冷気がゆっくりと流れて熱を奪う。指先がピリピリと痛むし、自然と腹に力が入っている。気がつけば首筋が固まっている。体中がぎしぎしと軋む。どんどん冷たくなっていく。置いて行かれて、忘れられる。ハッピィニューイヤー! その手前。そんな風に一年が死んでいく月。